先日、JR大阪駅北側の再開発地区「うめきた2期」区域内から、1500体の人骨が出てきたというニュースがありました。
実は2017年にも200体ほどここから発見されたのですが、今回の発見はその時の規模を大きく上回っています。
これほどの多くの埋葬跡が見つかるのは、全国でも非常に珍しいようです。
普段大阪駅に行っても、以前はここがお墓だったと意識することは、ほとんどないので大きな驚きです。
調査の結果、江戸時代の終わりから明治20年まで使われていたようで、大阪城下に住んでいた庶民階級の墓として使用されていました。
大阪では江戸時代の大坂夏の陣によって、戦火を被った都市再生計画のひとつとして、お墓の集約がされることとなりました。
これにより「大阪七墓」というものができ、そのうちの一つが今回人骨が発見された「梅田墓」でした。
知られるところでは、近松門左衛門の「曽根崎心中」にも出てきています。
「梅田」という由来には諸説あるのですが、有名な説は次のものです。
元々この辺りは低湿地帯で、泥土を埋め立てて田畑地を拓いたことから、「埋田」と言われるようになり、後々になって、字面が悪いので、近くの露天神社や綱敷天神社にゆかりのある梅から「梅田」になった。(Wikipediaより)
まだまだ貴重な埋蔵品が見つかるかもしれません。
(撮影 矢追健介氏)
(撮影 矢追健介氏)